物凄くどうでもいい話
どうも僕です。
タイトルにある通り、どうでもいい話です。
詰まらなかったらすぐブラウザーバックを推奨します。
今回の話題は【過程】です。
???
過程?
なぜ過程について話すかと言うと、思い付いただけ。
よく、「結果がすべて。」なんて言葉を目にします。聞きます。言われます。特に先輩や上司。
おい、待てよ。俺の苦労も知らず。どんだけ努力したか。
なんて経験ありますよね?私はかなりあります。
結果論は大事ですし、それがこの世の理なのは働き始めた16歳の頃からか分かってました。寧ろ小学生の頃から薄々。
「でも」「だって」って言う人は嫌いですし、言い訳がましいとも思う。かと言って何も聞かない人はもっと嫌いですよ。マジで。
「○○のことがあって、○○になってしまいました。」
この場合「○○のことがあって」を省くと単なるミス。まぁ、無くてもミスだが。
ここを省くと、何も対策をしないお前が悪い=100%
「○○のことがあって」を入れると、対策はしたがそれでもダメだったお前が悪い=99.9%
この0.1%を全人類が持つべきだと私は思う。
いや、私なら7:3とかにしちゃいたいんだが。
兎に角、頭ごなしに結果だけを追求するのは人としてどうかと思う。
あのイチローも努力の天才と言われ、過程を評価されたから有名になったのだと思う。多分そう。
結果論の人は、良い成績を出したから有名になったのであって努力は結果から見てそうなったのだ。とか言うかもしれない。勝手な妄想だが。 かと言って努力しなければ結果は出ないと私は思う。 これはもう哲学的になり、「最初に出来たのはニワトリが先か卵が先か」っと言う終りのない話になる。
用は、努力してるんから少しは多めに見てやれよと言う話だ。
大人になるに連れていろんな意味で優しさや心の広さが失われる人が沢山居るんだなと思う。逆もしかりだが。
今これを読んでる頭でっかちの上司の皆さんは、【過程】を聞いてから指導をして欲しいです。
彼等には、彼等なりの思考があります。でもまだ彼等には、頑張りが足りたいと思います。
話を聞いた上で指導に当たり、出来れば努力した部分を労ってあげて下さい。